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手紙20

こんばんは、蝉の声は幻聴だったんでしょうか。

先日、高校時代の友人と美術館に行って、そのあとロープウェイ街のカフェで、静かに、濃い週末の午後を過ごしました。

高校生の時、私なんかが友達と呼んでいいのかどうか分からない人たちと、なんとなく空気を読んで授業を受け、昼食を食べ、部活をしていたような気がしていて、心を開いて話せる同級生と過ごした時間がなかったわけではありませんが、圧倒的に少ない気がしています。踏み込んだ話はあまりせず、楽しそうに談笑しているクラスメイトや部員の顔を見つめながら口角を上げていました。

その友人と二人でじっくり話したのはおそらく初めてで、高校時代、特別に仲が良かった訳ではないのですが、当時の記憶について話すうちに、お互いに「嫌われたくない」と思っていたがゆえに距離を保っていたのかもしれないと思いました。こんなにも素直に話ができるとは思っていなかったので、とても嬉しい気持ちと、それと同時に、固定された勝手なイメージで見てしまっていたがゆえに、深い部分までを知ることなく卒業し今に至っていることに気付きました。その友人だけでなく、今までなんとなく話を合わせて笑ってやり過ごしていたような人たちの中にも、実は分かり合える人がいたのかもしれないと思いました。

その友人が会おうと誘ってくれたのは、紛れもなく、最近始めた文通があったからだと思います。LINEもほとんどやりとりしていなかったので。固定されたイメージを持ってしまっていたなというのは、文通をしている他の友人に対してもそうです。高校時代は挨拶を交わす程度の記憶だったのが(重要な思い出を忘れているのだとしたらとてもとても申し訳ない)、手紙の文章を読むと、いいなぁと思って嬉しくなるのと同時に、あの頃心を開くのを避けてしまっていたことへのプチ罪悪感のようなものが生じています。

今気づきましたが、大学生の今でも、先入観で深く知ることを避けてしまっている相手はいます。どうするのがいいのか全然分かりませんが、とにかく勝手に作り上げた否定的なイメージを全部壊して0にする必要はありそうです。少なくとも「嫌われないように」なんてことは考えず、嫌われたらその時はその時と割り切って生きるのが楽です、お互いに。