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手紙27

ある一定の人たちは、誰かの役に立ちたいという思いを抱いて将来就きたい職業を述べてきたと思うんですけど、私はたぶん、役立てなければならない呪縛から解放されていたいのかもしれないということに気づきました。

将来の夢:誰の何の役にも立たなくていい人生を送ること、にします、今日から。

「役に立ちたい」って、自分のわがままよりも他人のことを大事にしてるふうに聞こえて、エライなぁと大人に褒められると思うんですが、「役に立ちたい」も「億万長者になりたい」も「パイロットになりたい」も「野球選手になりたい」も「働きたくない」も、全部平等に、自分の欲求であることに変わりはないと思います。だから、「野球選手になりたい」の後に、「子どもたちに夢を与えたい」とわざわざ付け加える必要はなく肯定されるべきだし、何を言おうが、他人のためになりたいという欲求ですら、どれも平等に自分の勝手である訳なので、私の夢はこんなことやこんな人たちのためになることが期待されます!ということを、自分の意思に反してまで無理に説得しなければいけないなんてことないと思うのです。

私は、手紙の返事を書いている時間、新幹線で何時間もぼーっとするだけの時間、家でひとり楽器を弾いている時間、先生の思想についてただ聞いているだけの時間、休み時間に友人と雑談をしたりしなかったりする時間、何千円か払って映画館や劇場に行って爆睡する時間がとてつもなく心地よいです。何の成果も生み出さず、誰の役にも立たないことのほうが、はるかに気楽です。役に立つ、私にはちょっと荷が重い。