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手紙9

お疲れさまです。ちょっとこのピンクは目がチカチカしますね。私も我慢して書いてるので我慢してください。

自転車の鍵が壊れて困っていたとき、たまたま通りがかって助けてくれた中国語を話す男性に「LINEを交換しよう」と言われ、躊躇いましたが20秒ほど葛藤した末に、好奇心が勝ったので交換してみました。おそらくこれを話した時点で、あなたは「怪しいし危ないからやめなさい」と叱ると思います。私は当然そんなことは大前提としてこのような決断に至った訳です。直接会うことや電話に出ることは拒否しようと最初から線引きをするつもりで、この状況を単なる興味本位で面白がってやろうという、相手を見下す態度だった訳なので、むしろ私は「相手に失礼だ」と叱られるべきなのかもしれません。女子大生をホテルに誘うつもりで連絡先を聞くような奴の方がよっぽど失礼だとは思いますが。

自分の中で最大限に伝わりやすくしたつもりの言葉が全然伝わらないもどかしさって、コミュニケーションの原点に引き戻される感じがあります。全然言うことを聞いてくれないヤギとか。いつ咲いてくれるのか教えてくれないヒマワリとか。自分の思い通りにいかない不自由さの中で自由を少しずつ獲得していくことへの欲望が心のどこかにあるのだと思います。

この話を常識的な観点で頭から否定してくる人には、私の興味や欲は一生理解されないし、肯定されるべきでないのだと思いますが、この話を大学の友人にしたところ、思っていた5倍ぐらいウケました。

話の中では話されない、話すまでもない「前提」が共有されているかされていないかで、盛り上がったり、喧嘩になったり、気まずくなったりするのだと思います。この人とは前提が共有されていないなと感じた時は、その前提のところに立ち返って言語化してみようと試みますが、普段は使わない頭を使うのでかなり疲れます。正直、話を分かってくれる人と過ごしている時間が圧倒的に心地よくて、一生このぬるま湯に浸かっていたいなと思いながら会話の時間を過ごしています。前提が通じない相手ともコミュニケーションをする力を鍛えるぞ、と前向きに考えて、いつまでたっても話が盛り上がらなかったり、なんとなく噛み合わなかったりする人ともちょっと頑張って付き合い続けていこうとしていた時期もあったのですが、最近は疲れることはできるだけしないことに決めました。疲れる前に休んでください。今日はここまでです。おやすみなさい。

私の友達は、私が守ります。