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手紙11

こんにちわ。

高校生の時、同じクラスに、係助詞の「〜は」を全部「〜わ」と打つ人がいたのを思い出したので、私も使ってみます。私わ最近まで、やっぱ気持ち悪いのでやめときます。あと20年は修行が必要です。

私はつい最近まで、自分の思っていることを他人に押し付けてしまうところがありました。説教くさいことを言ってしまうというか。今も全然あるのですが、自覚できるようになっただけマシかなと思います。私は3つ下に妹がいて、毎日毎日喧嘩しない日はありませんでした。未だに夢の中で口論が勃発しています。妹は部屋の片付けができないタイプの潔癖症なんだと思うのですが、部屋を散らかしては毎日母親に怒られ、湯船が汚いと思ってしまって浸かれないのでいつもシャワーで済ませていると祖母に怒られ、父親に口答えをしては蹴飛ばされ、妹が怒られてくれるおかげで私やその下の弟は滅多に怒りの矛先を向けられることなく、ラッキーだと思って過ごしていました。妹の行動は否定されるべきものだという認識で15年くらい一緒に暮らしていたので、彼女の感覚や価値観を理解しようと努めたことなどほとんどありませんでした。母親は半月に一回くらい「片付けんのやったら全部捨てるよ!」と言っていました。本当に捨てられたことも何回かあると思います。私は、シャワーヘッドを外してしまえば、そもそも妹と祖母が喧嘩することはなくなるのに、と思って本気で母や祖母に提案していました。潔癖症の人にとってはたまったもんじゃないという感じですよねきっと。家族みんな、余裕のヨの字もなく毎日過ごしていたので、仕方ないところはありますが、もう少し冷静に考えてあげられるところはあったんじゃないかなと思います。頭ではそうは思っていても、やはり未だに夢の中で妹を罵っているので、よっぽど脳みそにこびりついてしまっているのだと思います。罪は重い。

中学、高校と吹奏楽部に入っていました。後輩が入ってくると、「教える」という場面が出てきます。私はとにかく自分で「これはいい!」と思ったことはすぐにでも他人に伝えたくなってしまう、自己啓発本みたいな人間なので、参考になりそうなプロの演奏動画や、自分で編み出した練習方法など、私の目に「正しい」と映ったものは何でも共有していました。部活の練習時間はもちろん、帰宅してからグループLINEに送ったり、もう卒業しているのにわざわざ休日母校に出向いて先輩面をしに行ったりなど、かなり過干渉だったし、後輩たちの自立を妨げてしまった部分も少なからずあると思います。本人たちはもしかするとありがたがってくれたかもしれませんが、メリットばかりではなかったはずです。自分が見れる範囲のものたちを思い通りにコントロールできていないと不安になってしまうという性格もあったと思います。

自分の考えを分かってほしいというつもりで送った長文メッセージに対して、当たり障りのない返信が来てホッとしていたのに、Twitterで明らかに暴言を吐かれていたのはトラウマです。説教くさい長文メッセージを送られた側も同じくらい気持ち悪かったと思いますが。本人に見えるところで陰口を叩くような人間にはならないでおこうと思ったし、どんな内容であれLINEで感情・エゴまみれの長文を送るのは気持ち悪いなと今になって思うので、気をつけていきたいと思います。お互いの未来のために、お互いの声に耳を傾けましょうね。

でわこの辺で。