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東京⇄京都

とても短い夢を見ました。

ほんのちょっと京都へ行ってすぐ東京へ戻ってきた一日の話です。

まず、家で急いでシャワーを浴びて、昨日スーパーで買った寿司を半分食べて、イクラとかサーモンとか甘えびとか、生っぽいものはお腹壊したらいけないと思って捨てました。マグロもホタテも生だったんですけど。洗濯物を半分干して、急いでリュックに荷物を詰めて、家を出るのが1分だけ遅れてしまったので、いつもは乗らないバスに乗って、最寄より一つ先の駅へ向かいました。新幹線の時間には十分間に合いそうだったので安心しました。しかし、ここで困ったことが起きました。ちゃんと最寄の駅で乗れば、JRの路線なので最初から最後まで新幹線の乗車券を使って東京駅まで行けたはずなのですが、私が電車に乗った駅は私鉄なので、まず改札でICカードをタッチしていました。数百円が私のSuicaから吸い取られるか吸い取られないかの話なのですが、単なる自分のうっかりで交通費を無駄にしたくないと思った私は、私鉄を降りるときにSuicaをタッチして、山手線に乗り換えるタイミングで乗車券を改札に通せばいいじゃないかと安心し、等間隔に並んだ緑の改札を頭に浮かべました。いや、乗り換え専用改札は降りるのも乗るのも一緒だからそんな簡単な話じゃないということに気づき、咄嗟に「私鉄 新幹線 乗り換え」でググりました。私が使っているのはGoogleではなくSafariです。そんなことはどうでもいいのです。JR東日本のサイトにわかりやすく解説が載っていたのですが、1分の遅刻によって本来払わなくていい数百円を払ってしまった絶望感と乗り換えの駅が迫っているというのでただでさえ焦っているのに、これを読んだことによってさらに訳がわからなくなりました。訳がわからないまま山手線に乗り換えた私は、北海道に住んでいる人にLINEで助けを求めました。すぐに返信をくれて、とにかく紙の切符の方を先に通してSuicaを後からタッチすればいいということを教えてくれたので助かりました。無事に東京駅で新幹線の乗り換え改札を通った私は、うきうきしていました。東京駅や羽田空港はうきうきするけれど、上野駅や成田空港はうきうきしないな、この違いはなんだろう、などと考えながらKIOSKでランチパックとチョコレートを買いました。4巻の寿司しか食べていなかったので。のぞみの2号車に乗り込んで3人がけの窓際の席に座りました。2号車の18Aに乗っているよと友人にLINEを送り、ランチパックを食べました。新横浜で友人と合流し、特に会話もせず音楽も聴かず、猛スピードで流れ去っていく景色を眺めたり目をつぶったりを繰り返しているうちに京都に着きました。

看板の矢印に誘導されるがままに地下鉄の改札まで身体を運び、Suicaをタッチしました。残高が表示される画面の位置がいつもと違うので、視線が的から外れかけました。長時間座って疲れたせいか、電車を待つ時間が長く感じられました。ホームにいくつもできている列のうちの一つの最後尾で、私は控えめに脚を曲げ伸ばししていました。電車が来ました。たしか特急だったか、車体は深紅で塗装されていて、座席もクロスシートになっており、豪華でした。各車体の外にも中にも至るところに Premium なんとかって書いていた気がします。乗車して120秒で目的の駅に着きました。そこでまた地下鉄を乗り換えました。ホームドアが天井まであり、ドア以外の壁の部分が格子状になっていて、私はいつか画像検索で見かけた旧ソ連の地下鉄の重厚なホームドアを思い出しました。エイプリルフールに「サンクトペテルブルクに来ている」という嘘をつくために調べた材料のうちの一つです。自分が今乗ったのは何線なのだろうと思って路線図に目をやったら、「東西線」であることが判明し、めちゃめちゃ普通の名前やないか、と心の中でツッコミを入れました。おそらく隣に座っていた友人には聞こえていません。そのついでに「烏丸御池」という駅名が気になり、どう読むのだろうとアナウンスに耳を傾けたのですが、独特なアクセントが何度聞いても聞き取れず、少なくとも3回はアナウンスに耳を集中させたと思います。これほど必死に電車内のアナウンスを聞き取ろうとすることは後にも先にもきっとないです。電車を降り矩形の洞窟を歩いていると、友人が「京都は来たことあるの?」と聞いてきました。私は、修学旅行以来だなあと答えると同時に、でも電車移動はなかったなと呟いていました。タクシー研修があったんだよねというところから自然と話題はちょっとだけ広がり、二言三言修学旅行の思い出について会話しました。地上に出て徒歩で美術館へ向かいます。

地下鉄を降りて地上に出ると、湿気を含んだ風が吹いていました。私は方向音痴で人任せな人間なので、誰かと一緒に知らない土地に来たときはたいてい地図を見ないどころかスマホすら開かないのですが、友人は「私、方向音痴なんだよね」と言いながらGoogleマップの矢印に従って進んでくれたので、私は四分の一歩ほど下がって彼女の左隣を歩いていました。この街の建物は全部低いんだなー、社会科の教科書で見たことある感じのコンビニ、街に同化しようとしてるけど割と浮いてるな、などと私はやはり心の中で呟きながら、ピピロッティ・リストの展覧会のポスターが見えてきました。靴を脱いで暗闇の中に吸い込まれていった私たちは、はじめのうちは互いを見失わないように、かつ自分のペースを守りながら展示物を眺めていたのですが、ベッドに寝転がって天井に映し出された映像を見終わったときには友人は見当たりませんでした。そのあと私はピンク色の部屋で映像を見ました。どの作品にも裸体か植物が出てきました。一番広いブースに出てインスタレーションを眺めていると、40分ぶりに友人に再会しました。友人は「外の展示見てくるね」と告げて靴を履き明るい方へ消えて行きました。私は今までより少しペースを上げようと集中力を高めました。この日はよりによって生理2日目で、腰が痛いので座りたくて堪らないという気持ちに打ち克とうと必死でした。やっと全て見終わり、友人と再合流しました。次の予定まであまり時間がなかったのですが、グッズ売り場が気になったので一周だけぐるっと眺めることにしました。図録の隣にオリジナルマスクが置いてあったのですが、「¥2,800」というのが目に入った瞬間、「高っ...!」と自分でも思ってなかったくらいの声が出てしまい、レジにいる店員さんに聞こえてたらまずいなと思いました。建物を出ると、入ったときは気づかなかったのですが、ガーランドのように白い下着がたくさん連なって掛かっていました。

次はバスに乗って移動する予定だったので、バス停に向かって歩き出しました。美術館を出てすぐ目の前にバス停があったのですが、スマホを片手に歩く友人は通り過ぎて行ったので、別のバス停なのだなと思い私はスルーして友人について行きました。念のため私もスマホを取り出して地図を見てみました。私は画面の中で動く矢印への信用がないので、美術館とセブンイレブンと川の位置を頑張って照らし合わせながら地図を読んでみました。さっきのバス停で合っているような気がします。数十メートル歩いたところで友人が「あれ、違うかも」と言い出したので、私は優越感に浸りながら、「方向逆じゃない?」と言って先を歩き始めました。無事バスに乗れたので、劇場へ向かいます。バスって、結構走行音がうるさくて、隣に座ってる友人と喋ろうと思ってもなかなか声が聞き取れないんですよね。なので適当に「あぁ~」とかって相槌を打ってしまいがちです。被害者のみなさまいつもごめんなさい。

会場に到着しました。受付まで行ったところで、友人がチケットを出そうとしていたので、私は「あ、紙のチケットにしたんだ、私は予約番号が記載されたメールかなんか提示すればいいんだっけ」と思ってスマホを開こうとすると同時に、「京都芸術大学」という判が押された白い封筒が頭をよぎりました。500km離れた自宅の玄関に置いてあります。ここまでどうしようもないと、諦めるということがこんな一瞬で簡単にできるのことなのかと我ながら感心しました。一瞬で諦めがついて開き直っていた私は、2000円の当日券を買い直すつもりでいましたが、幸運にも、窓口で名前を伝えて再発行してもらうことができました。友人が新幹線に乗ってきたとき、「チケット忘れそうになっちゃったんだよね~笑」と言っていたので、私は、新幹線のチケットのことかと思い、あはは、とこれもまた適当に相槌を打って済ませていたのですが、この時やっと意味がわかりました。

私たちは『事件』というのを目撃しました。そこでは、スーパーでの日常的な光景が狂ったように何度も何度も繰り返されました。ここで観たものが狂っているのではなく、私たちの日常の方が狂っているのだということを思い知らされます。

上演が終わって20時を過ぎていました。夕食をとろうにもお店がどこも閉まっているので、バス停近くのコンビニでおにぎりを買って、川沿いにあるベンチで食べました。2021年5月の京都の夜は真っ暗でした。21時半になり、夜行バスが来たので乗り込みました。人生初の夜行バスです。新幹線と同じくらいの座席を想像していたのですが、思っていたよりも窮屈そうだと思いました。あとの記憶ははっきりしていませんが、とにかく時間が長く感じられました。足を抱えて裏腿を伸ばしてみたり、苦し紛れに寝返りを打ったりして、何回も姿勢を変えながら浅い眠りの中を耐えたことは覚えています。

東京に着きました。朝5時の東京は人の気配がなくて、なんだか清々しいと思いました。