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サンバ部って、実は結構シャイな人多いよね

どうも、サンバ部の人です。

正式には、「サンバパーティー」という名前です。

そういう名前の部活なので、「なにそれ〜パリピじゃん!笑」みたいな反応をされがち、いや記憶では一人しか言われたことないですが、意外とシャイな人の方が多いです、自分も含め。入学式や藝祭で初めてサンバの演奏(爆音)を目の当たりにし、吸い込まれるように入部するわけですが、人見知りなくせに、そんな名前の部活によくも入ったなあ、と今思えば不思議です。しかも部室なんて、よくわからない地下の暗くてじめっとした場所にあるのに、わざわざ行って重いドアを開ける勇気たるや。そして毎週月金18時に、練習しに通うようになるのです。

シャイな人間ほど、サンバに魅了され熱心に通ってしまうという現象、一体、私たちはサンバに何を求めているのでしょう。

美術家の西尾美也さんが、長島確さん、テンギョー・クラさんとのトークセッション*1で、ご自身のことを人見知りだと仰っていましたが、博士論文では、"装い"がコミュニケーションの入り口になる、という旨の記述をされていました。長島さんは、演劇を劇場から外に持ち出す"つくりかた"を研究するプロジェクト「つくりかた研究所」の参加者を公募した際、「思った以上にシャイな人たちの集まり」になったらしく、「そもそも、"つくりかた研究所"というアイディアが、こういう人間たちを招き寄せたのだとも思います」*2と綴っています。というのも、応募者を選考した際、「いまいる場所とは別に、もうひとつの場所を求めていること」*3を判断材料のひとつとしていたといいます。シャイで人見知りな人ほど、何か別のコミュニケーション手段なり、居場所なりを求めているのかもしれません。私自身も、わざわざ紙に手で文字を書いていろんな人と文通をしたりしています。

そんなことを踏まえて、サンバは、シャイ人間にとって、マクルーハン的に?言えば、身体の拡張です。普段自分の身体だけでは出せないようなデカい音を、太鼓を叩けば出すことができるし。隣の人との会話に困っても、とりあえず太鼓を叩き続けている間は沈黙を恐れる必要はありません。でも、それは一人の行為ではなくその場にいる人全員によって成り立っているわけで、他者とやりとりをしている安心感や楽しさや心地良さがあります。サンバは、もうなくてはならない必要不可欠のメディアです。

 

*1:テンギョー・クラ写真展「AFTUR-N」“Closing Talk Session”(2022年7月4日)

*2:長島確のつくりかた研究所『つくりかた研究所の問題集』東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京, 2016年,p.17

*3:同上, p.16