「稲穂が流れ、夏が落ちる頃」という意味で、造語のタイトルをつけました。夏の終わりから秋にかけての、気がつくと過ぎ去ってしまうような時間。木々や空気が留まることなく次々と色めき移り変わっていく、そんな風景を一つのイメージとして描いています。(柳川和樹)
今、《落夏流穂》を聴くと、少しひんやりとして心地よい風の金木犀の匂いを運んでくる感じが、込み上げてくる。自転車のヘッドライトで夜道をなぞる、黒と白の映像がぱっとみえる。無責任なワクワク感に、一瞬だけ浸れる。津波の如く、それを切なさが襲い飲み込む。
これを初めて聴いていたのは、まさに「稲穂が流れ、夏が落ちる頃」である。
第一印象は、単純に「めっちゃかっこいい」であった。ただ音を浴びているだけだったように思う。
練習場所に向かえば、いつの間にやら誰かがスピーカーを繋いでいて、音源が流れていた。
廊下にはみ出る程楽器を並べ、キャパオーバーの狭い教室で毎日のように合奏をした。
友人たちと各々のパートを口ずさみながら、自転車で秋夜の風を切って走った。
青春、などという一言で表すには勿体無いほど、この《落夏流穂》には、あの日々の匂いや温度感や感情が染み付いている。