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正しい欲って書いて『正欲』っていう本

朝井リョウの、正しい欲って書いて正欲っていう小説があるんですけど、それがすごい良くて、その朝井リョウの小説の構成が、いろんな人の視点で書かれてて、AさんBさんCさん...って人ごとに章が分かれてるんですけど、はじめは全然接点のなかった人たちが、クライマックスに向かっていくにつれてだんだんと一点に集まってくる、みたいな感じで書かれてて、なんか全然相反するような、もはや矛盾してしまうようないろんな価値観の人が出てくるんですけど、それを朝井リョウ一人が書いてるっていうのがすごいんですよねー、で」「あー、それ、読みます!」っていうの今月だけで2,3回はやったんですけど、まだまだ全然今から語り始めますよぐらいの説明でもう読みたくなってしまうほどの小説書く朝井リョウほんとすごいと思います。っていうことを言いたかっただけです。

男性の視線が怖いが、ある時から一人の人物を好きになるという女子大生が出てくるのですが、「自分のことを性的な目で見てこない安心感がある故に、自分は相手のことを性的な対象として見てしまう」みたいなこと、もしかして割とあるんじゃないかと思ったんですけど、どうなんでしょうか。back numberの曲で、僕は君のことが好きだけど君は僕のことを好きじゃないらしい、的な歌詞をふと思い出して、そういうすれ違いってつまり「性的対象として見られてない安心感から性的な感情が生まれる」という因果関係あるのかなと思ったけど、別にそういうことではないのかな。久々にback number聴いてみましょう。彼氏がいるわけではないみたいだけどなぜかフラれてしまい、絶望、だそうです。ご本人は「そうか、好みじゃないのねー...」とのことですが、そもそも相手が異性愛者とは限らないので、僕氏が君氏から性的対象としてみられていないが故に好きになっている可能性、ゼロではないか。この人は、また来週もアタックしようかなとか言ってるんですが、もし彼女が異性愛者でなかったとしたら、そこであっさり諦めたりするんだろうか。こんなこと考えてもなんかしょうがないな。まあいいや。僕氏は君氏に「好かれたい」という気持ちが露骨に表れているのですが、絶対に感情が一方通行になる場合ってありますよね。「推し」的な。アイドルや二次元やもっと人間以外のものまで、相手から働きかけてくることも返事もない前提での感情は存在しうるのに、相手が人間だと、しかも例えば、自分と性別が逆で年齢が極端に遠すぎないとかいうだけで、相思相愛になれる可能性を反射的に信じてしまって、なんだかちょっと傲慢。告白とかプロポーズとか、する方も待ってる方も、相手が自分を好きになってくれる前提なのが傲慢だな。その傲慢さがフラれる一因なのでは、、(※自戒を込めて)

「傲慢」の使い方これであってるのかな。

朝井リョウ『正欲』、とにかく読んだ後もあらゆる場面で日常に入り込んできて語りたいことをどんどん生み出してしまうような本なので、定期的に間あけて連続読書会とかやりたい。読書会したことないから分からんけど。これはいろんな視点から読んでこそまたより一層面白くなる本だと思うので、読んだ人いたらお喋りしましょう。ではではおやすみなさい〜