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「撮られたら、撮りかえす」プロジェクトできないかな

なんとなく撮られるのが苦手

hikari1209perc.hatenablog.com

私以外にも、カメラを向けられるのが苦手な人っているだろうか。最近の子どもは、普段から親のスマホで撮られるのに慣れているのか、私がカメラを向けると、積極的に写ろうとしてくれる。もちろん「最近の子ども」だからというわけではなくて、たまたまその子たちが積極的な性格だったというだけかもしれないけれど。

ミラーレスカメラをプレゼントしてもらって、ここ1年、よく写真を撮るようになった。今までは、自分の記憶に焼き付けておこうとしたり、文章で綴ることが多かったけれど、写真の方が圧倒的に便利で楽だ。取りこぼしがないし、他人と過去を共有できる。

自分で企画したイベントの記録写真なども、自分で撮ることが増えた。容赦なく遠慮なく、できるだけたくさんのショットを撮るようにしている一方で、被写体となる参加者の人たちにどういう形で気を遣うべきか、よくわからないでいる。

私が撮られる側のとき、私はカメラに写ること自体が苦手というよりも、写ることを要求される場面(記念写真とか)で、どう振る舞えばいいか困惑してしまう。脈絡なしに被写体を演じるのが苦手である。だから、できるだけ自分が気付かないうちに勝手に撮っておいてほしい、と思っている。連続的な時間の中から瞬間を切り取ってくれた方が、表情や動作が不自然にならずに済むと思うから。だからといって、私が撮る側のとき、相手の許可なく勝手に撮るのも罪悪感がある。許可の問題に限ればそんなに複雑じゃない。「記録写真を撮ってますよ、撮られたくない人は申し出てね」と事前にアナウンスしておけば、なんとかなる問題ではある。「別に撮られてもいいのだけど、なんとなく撮られるのが苦手だ」と思っている人(自分含む)に対して、もっと考えるべきことがあるのではないか?と思っているが故の、罪悪感なのである。

撮ることに慣れる

積極的に写真を撮るようになってから、撮られることにも少しずつ慣れてきたような気がする。撮る側が、どういう意図で何を切り取ろうとしているのか、なんとなく理解できるようになって、未知のものに対する恐怖がなくなったからかもしれない。

なんとなく撮られるのが苦手な人は、まず撮ることに慣れたらいいのかもしれない。撮られてもいいよ、という人たちに被写体になってもらって、撮られるのが苦手な人たちが、彼らをひたすら撮る、とか。制限時間内に、写ルンですのフィルムを使い切る、みたいなルールを設定して、とにかくたくさん撮る、みたいな。この企画の趣旨はあくまで、「撮る/撮られる状況について考える」ことであって、写真の腕を磨くことではない。

「別に撮られてもいいのだけど、なんとなく撮られるのが苦手だ」ということについて、考える場を作りたい。

許可の選択肢を増やす

あるいは、「撮られてもいいけど、気付かないように撮ってほしい」ということを被写体(参加者)が意思表示できる仕組みが必要なのかもしれない。「撮られたくない」「一声かけてから撮ってほしい」「気付かないように撮ってほしい」「顔は写らないように撮ってほしい」「積極的に撮影(被写体)に協力します」など。

いや、複雑すぎるか......

でも演劇の役割分担みたいな感じで面白いかも