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本音の言語化

前にも書いたことがあるかもしれないけれど、私は小中学校で書かされる感想文的なものが本当に苦手だった。遠足や運動会の感想とか、読書感想文とか、何を書けばいいのかわからなかった。感想文を書くためのメソッド的なものは教わらないし、お手本になるものもない。クラス全員の感想文は、教室の後ろに貼り出されたクリアケースの中に、行事のたびにアーカイブされて、いつでも読むことができた。しかし、あくまでそれらは書かされた文章で、「楽しかったです」「おもしろかったです」など、バリエーションが極めて少ない定型文を使い回すしかなかったので、お手本とはなりえなかった。遠足に行って、運動会に参加して、私は特に楽しいとか面白いとか思うことがなかったので、書くべきことが全然思いつかなかった。今なら、これが面白くなかったとか、居心地が悪かったとか、先生のあの態度は理不尽だとか、思ったことをそのまま「感想」として書けるだろうけれど、小中学校における「感想文」というのは、ポジティブなことを書かされるためのものでしかないと思い込んでいた。

思っていることを言語化することについてようやく理解したのは、Twitterを始めてからだと思う。楽しかったことや面白かったことを書かされるための場ではなく、思っていることを逐一その瞬間に文章化するための場である。私はその感覚をそこで身につけた。私は、会話においても、思っていることを言語化して他人に伝えるのが苦手だったので、普段から蓄積される一方の本音を手軽に文字として発散できることに快感を覚えたのだと思う。最近ようやく、人に直接自分の考えや要求を伝えることができるようになってきたので、SNSにのめり込むことは減った。そして、遠足の感想文すら授業時間いっぱいまで書けず悩んでいたのが、今では書きたいことがありすぎて、ほぼ毎日ブログを1000字前後書いてしまうまでになった。