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手紙23

これは単に生理前だからなのか、一人暮らしの何かといろいろ追われなければいけない生活に戻ることへの不安が大きすぎるのか、情緒が不安定です、ここ2,3日。これから年明けにかけては忙しすぎてわけがわからなくなることが分かっているので、この夏休みの間に、予習できるものは予習を済ませておいて、迷わず暮らせるように1週間のぎちぎちスケジュールも組んで、土日はたとえ空いてる日でも、もうこれ以上の約束は受け付けないぞ、絶対に休む日だと心に誓って、準備は万端にしているはずなのに。安心材料が一つでも多い方がいいのに、去年のような辛い日々がまた来る季節なのかというのを身体が勝手に予感していて、食欲はないし、腕に力が入らなくて茶碗を落としそうになる。水を上手く飲み込めなくてむせるし。漢方ってちょっとあれは高いよね。でも医者に診てもらって薬飲んですぐ治るようなもんじゃないし。風邪みたいに扱うようなものじゃない。10月1日からずっと毎日台風で東京の公共交通機関ぜんぶ止まっちゃえばいいのに。何も知らず何も考えてなかった1年前の自分より明らかに先を見据えることができて準備万端なのに、何が怖いんだろう。別にしんどい日は休めばいいと思っているし、というかしんどくなる前に休むことの重要性を頭では分かっているし、楽しいことだってあるし、でも、でも、でも、と否定的な思考にずぶずぶと沈んでしまってなかなか抜け出せない日だなしょうがないなぁもう。あー生きるの面倒臭。明日もこんなかな。荷造り間に合うんだろうか。荷物の集荷も新幹線のチケットも、予定なんかない方が楽だよね。弟にずっとカラオケ行こって誘われてて、昨晩約束して今日の朝私は弟とカラオケ行く気で身支度してたのに、いつも通り布団の上でゲームしてる小学生に「やっぱ行かん」と言われて腹が立ってしまい、私は勝手にこの人の将来の人間関係を案じて正論のようなものをグサグサ刺して、姉が空気を真面目な緊張に向かわせようとするのに耐えられない小学5年生は本気で涙を流して泣き叫んでしまった。私は約束を覆された苛立ちで、私の感情があたかも正しいものとして扱ってしまったけれど、別に押し付けることはなかったかなと反省した。私の感情が存在した上で、行きたくないのを無理矢理ただ約束を守ることを強要する必要はなかったのではないか。私はいつでも押しつけがましい。正しさはないなと思う。どの選択をしてももやもやする。仏の気持ちでその場で受け入れたとしても、それは甘やかしになるかな、とか。気が変わってしまったことに対してごめんなさいと言うことを覚えた方が、無理に人間関係を心配して約束を守らせることより10倍マシかなと思ったけど、強制されて言う「ごめんなさい」には意味がない気がする。私が感情混じりの価値観を押し付けてしまったことに対してとりあえず謝ろうかと思ったけど、あの小学5年生は、何か真面目で重い空気になってしまうことに耐えられない人間である。それどころじゃなく、とりあえず空気を変えないでくれと言うことで頭がいっぱいで、にゃーとかうんことか連呼するのに必死になるだろうと思う。伝わらない。でもまあ、私が何か不満を発した瞬間に、うるさい黙れで封じ込めようとする妹のような我の強さはない。とにかく、明日の気分も体調も天気も生存も何ひとつ確かでないのに、予定なんかない方が楽だと言うことは弟に共感する。