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『セックスする権利』「ポルノについて学生と話すこと」を読んで

友人と、アミア・スリニヴァサン『セックスする権利』を読んでいる。週に一度、朝10時からzoomを繋いで2人読書会をやっている。予習とかはしないで、2人で同時に読み始めて、話して、読んで、を繰り返しながら少しずつ読み進めている。

p.45〜「ポルノについて話すこと」をちょうど読み終わったので、感想を書き留めておこうと思う。

ネットで観られるポルノ

インターネットでポルノにアクセスできるのが当たり前の時代に生まれた若者は、初めての性体験を画面の前か、そうでなければ画面の前で初めて性体験をした相手とセックスをしている。画面からそうしろと指示を受けた者とセックスをするという経験もまた画面に媒介されたものとなる。*1

これは私が聞いた話だけど、ポルノ動画はあまり観ていないが、中学生の頃にネットで「エロフラッシュ」が流行っていて、それでセックスを覚えたという人がいた。少し調べてみたら(少ししか調べてないので、かなり偏った認識かも)、「エロフラッシュ」は、保健室で2人きりとか、家から脱出するとか(?)、いろいろシチュエーションがあって、物語が進む状況によって、女の子の服を脱がせたり、マウスをクリックして身体の部位を触ったりすると、女の子がエッチな反応をするゲームだということがわかった。

動画のように一方的に見せられるものではなくて、ユーザーが主体となって思うがままに遊ぶことができる。しかし、当然男性向けのコンテンツで、男性視点から女の子を操作する。画面の中のイラストの女の子は、抵抗しない。女の子の意思表示によってセックスが中断されることはない。画面の前の者が一方的に女の子をレイプすることになる。現実の相手では、その人は人間で、意志を持っているはずなのに、そういうゲームで「女の子はセックスに抵抗しない生き物だ」という認識が刷り込まれる可能性はあって、結局家父長制的なポルノ動画と構造は変わらない。男女逆バージョンとか、画面の中の相手もこちらに働きかけてくるゲームだったらアリかも。

お手本のように「セックスはこうだ」と提示してくる動画も、ユーザーの思うがままに操作するエロフラッシュも、男性が女性をモノとして扱う関係性は共通している。それに欲望を掻き立てられて、男性は女性をモノとして扱うことに快感を抱くし、女性も男性にモノとして求められることに憧れたりする。逆はあまりない。実際のセックス(服を脱がせたり触れたり)が、PCのマウス操作の延長線上にあるのか、と思うと、なんてスケールの小さい行為なんだと思う。女性の生身の身体が、イラストの女の子の拡張でしかないなんて、浅はかだなぁ。

性を教育すること

もう一つは、性を教育することについて。家父長制的なポルノではなく、学校でのよりよい性教育が必要だ、とは言うけれども、教師だって多くはポルノを観る普通の人である。だれが教師に教えるのか?という問題。*2

私が小5のとき、理科の授業で受精について習った。精子卵子が出会うと受精卵になることはよく理解できた。でも男性の身体で作られる精子と、女性の身体で作られる卵子は、どこでどうやって出会うのか?そもそものところがいつまで経っても説明されないまま単元が終わってしまいそうだったので、理科の先生に聞きにいった。すると、それは中学校で習うからね、と言われた。

小6のとき、愛媛新聞の小説欄の連載で、医者を引退した男が熟女とセックスをする物語を読んで、なんとなく繋がった気がして納得した。主人公は、年老いて射精はできないが、指を女の膣に入れてヤることはできる。「自分は一応医者として、女性の身体の構造は理解しているので、膣の中の様子や快感を覚える部分はある程度わかる」的なことを書いていたのをなぜか覚えている。それを読みながら、知らない単語が出てきたら、Wikipediaとか辞書とかで調べていた。「膣」の読み方とか、「Gスポット」とか。

中学校に入り、保健体育の授業で、生殖器についての単元があった。保健体育の授業は男女別クラスだった。その時の体育の先生は「漫画とかのそういう描写は全部嘘やと思え」と目力強めで言っていた。なんと強引な。脳筋の発想だ。なぜ全部嘘なのに、どんな作品でも共通した描き方がされるの?全員がわざわざ同じ内容の嘘をつく意味わからなくない?それは事実に基づいてるからじゃないの?と納得がいかなかった。ずーっとその説明にもやもやしていたので、10年経っても鮮明に覚えている。体育の先生なんて怖くて、理科の先生みたいに気軽に質問できないし、もやもやを今みたいに言語化できなかったので、聞けなかった。でも、今ならそういう説明で片付けてしまいたくなる気持ちはわからなくもない。学校にエッチな漫画を持ってきて、このシーンは本当だけど、これは誇張されてるよ、とか説明するわけにもいかない。子どもにポルノを見せることなく、ポルノについて教えなければいけない(でも生徒はすでにポルノに触れている)という矛盾。

高校に入っても、男性のペニスを女性の膣に挿入することで精子が女性の体内に入る、ということは教えられなかった。みんな共通認識として持っているという前提でスルーされていて、性病の種類とか、ウイルスの潜伏期間とかをテストのために暗記させられた。避妊法としてコンドームや低用量ピルのことは習ったけど、コンドームがどういう形状のものなのか、どうやって装着するのかまでは教わらなかった。

12歳の子に「ペニスを膣に挿入する」ことをストレートに伝えてしまったら、中には気持ち悪いと思ってトラウマになってしまう子も普通にいるだろう。でも、痴漢の現場を目撃したり、思わず過激なポルノを目にするよりは、マシである。そして、子作りをしない人が増えることは国家にとっては不都合だろうが、別にセックスをいいものとして捉える必要もない。ある程度、マイルドに美化しながら、現実を淡々と伝えるようなフィクションによってセックスを提示することは、セックスの権利を教育するのに効果的なのではないか。ポルノだから全部悪、ということはないはず。

*1:pp.56-57

*2:p.88