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子どもと奥さんのために早よ帰れよ、と思う私は自分で自分の首を絞めている

若者は経済的に貧しくなってきているから、子どもをつくらない。女性が男性と同等に働けるように、子育てと仕事を両立できるように、制度的にサポートすべき。というような時代真っ只中なので、目の前にいる人が小さい子を育てている人であれば、社会の一員として気を配る必要がある、という責任感を持って接している。あまり夜遅くまでこの相手を引き留めていたら、家にいる子どもと過ごす時間を奪うことにならないか。この人が帰宅するまで、家にいるパートナーは家事と育児の負担を1人で負うことにならないか。などなど。自慢げに「昨日は明け方まで呑んじゃって寝不足」云々と語っている人に対して、いやいや早く帰ってあげなさいよ、奥さんの負担考えろよ、と思ったりする。

しかし、それは家にいる子どもやパートナーの存在に気を遣うあまり、目の前の相手が自由に振舞えないように責めるような態度をとってしまっていることにならないか。そりゃ子どもがいれば、自分の自由な時間が減るというのは当然なのだけど。独身の人や子どもがいない人に対しては、そういった気を遣わなくて気楽であると同時に、夜遅くまで帰宅しないその人の自由を侵害することもない。

自分が逆の立場になったとき、もし私が「子育てをしている人」だったら、後輩や部下や生徒といった立場の相手に気を遣わせることになるのではないか。そして、家庭のことをちゃんと気にかけている社会人の振る舞いをしなければいけない風潮(現に私はこれに加担している)だから、自分は自由な振る舞いができなくなってしまう。

家庭を顧みない人のことを非難しがちだけれど、個人に問題の責任を押し付けているから、こういうジレンマに陥ってしまう。たぶん、仕事と家庭を両立する人間像を理想として置くのが間違っている。仕事と家庭を両立できなくさせている社会のほうに問題があるにすぎない。どちらにせよ、子どもは育てられないな。