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Q. コンドームを何だと思ってるの? A. 一時の快楽が出産の苦痛に直結することを忘れている

hikari1209perc.hatenablog.com

これの答えが出た気がする。もうツイートが削除されてしまったのか、見つけられなかったのだけど、「出産は血にまみれた死と隣り合わせのものである、男性は自分の快楽の結果がそれになることを理解していない」という旨の投稿があった。

その投稿は、ある産科医が「出産に男性が立ち会うのは良いことだが、血を見て失神されると病院の仕事が増えるので、血が苦手な男性は無理して立ち会わなくて良い」ということを言っていたのに対して反応したものだった。女性は血が苦手だろうがなんだろうが、出血や痛みや苦しみから逃れることはできないが、男性は血を見たくなければ、その苦しみから目を背けることを推奨される。

それに対し、「男性は、血くらい受け入れろ」とかいう単純な話ではない。セックスが快楽のためのコンテンツとしてただ消費されていて、一時の快楽が結果として女性の身体を死と隣り合わせにさせることを、性教育として教えてこなかったことが問題である、と投稿主は言っていた。

これは、男性だけの問題ではないと思う。みんな、妊娠出産を美化しすぎである。「いのち」「奇跡」なんてキラキラした言葉でごまかされているけれど、裏返せば、リスクばかりだということである。リスクをくぐり抜けているから「奇跡」なのであって、ありふれたものに「奇跡」とは言わない。国家の存続のために、結婚や子作りがポジティブキャンペーンされていて、国民はそれに扇動されているだけである。妊娠出産の苦しみや身体にかかるリスクの大きさが強調されることはない。SNSがあるおかげで、妊娠出産子育てに関するリアルな声がつぶさに聞こえてくるようになったのはいいことだと思う。でも、まだまだ美化されたままだ。(医療のおかげでなんとか生かされるし、無痛分娩とかも普及してきているけど、そこまでして子ども作る意味って何?)

そんな「リスク」を、たった0.02mmの壁で回避しようとしていること自体、それもまた「奇跡」なのだけど、その0.02mmすら取っ払ってしまうと、そのリスクは何十倍にもなる。0.02mmの壁によって、我々は血にまみれることや死と隣り合わせの状況になることから守られているのである。快楽のすぐ延長線上に、血や痛みや苦しみや死があることを忘れてはならない。