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合気道とホテルマン

私はコミュニケーションに苦手意識を持っている、かつ完璧主義なので、完璧なコミュニケーションに憧れている。高級ホテルのホテルマンって、なんでいきなりあんな友達みたいなリラックスした距離感で接客できるの?と不思議でたまらない。居心地良すぎて怖いぐらい。客をもてなしたり、客の要望を察して先回りして動かなければいけない仕事って、解釈労働として「主従」の「従」の立場に徹する仕事だと思うけれど、美容師が髪を切ったり、クリーニング屋が服を綺麗にするのと同じように、あくまで「もてなす」という技術を行使するプロとしてサービスを提供しているにすぎない、という感じがする。接客そのものが技術であるから、無理をしている感じがない。客である自分が主人となって、ホテルマンを奴隷として動かしている感覚など全くない。完全にホテルマンのもてなしに動かされているだけである。

合気道は、身体のコミュニケーションである。もうお亡くなりになったしまったけれど、鈴木茂師範*1の稽古に通っていたほんの一時期、他の人とは明らかに違う、一線を超越した身体の捌きを感じた。私の身体は完全に鈴木師範のものとしてあしらわれてしまう。普通に素人が身体を触れ合えば、あなたとわたし、でしかないのだけど、身体を経験的に熟知している玄人は、相手の身体の行く末を先読みしながら、相手の身体を自分の身体のように動かしてしまう。というか、私の身体が、相手の身体になってしまったかのように動かされてしまう。

テルマンも、合気道の師範も、コミュニケーションを熟練した技術として自由自在に操っていて、私もその技術を身につけられたら、どんなにコミュニケーションが楽になるだろうか、と夢想する。