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結婚している中年男性による授業でモヤったこと

授業に来たゲストが、今回は授業というより思いついたことを雑談みたいに喋るカジュアルスタイルの人だったけど、もやもやしたので書き留めておく。とてもフレンドリーな雰囲気を醸し出して親しみやすい方で、人見知りの自分でも早く話しかけたくてしょうがなくなるくらいで、しかし、うっかりその人のペースに取り込まれそうで逆に警戒してしまった。

彼は、結婚している中年男性として今の時代を生きていると、普通に生きているだけなのに、なんか責められてる感じがする、と仰っていた。自分は普通に生きているだけなのに、と。ZINEを発行してたゲイ男性が、「本当はLGBTQの問題とか、昔に比べればかなり解決していて、トイレを一緒にしろとか、調子乗るんじゃねぇ」と書いていたことに共感したらしく、そのZINEを紹介していた。自分が芸術祭で展示をしたときに、議員から「市民の血税でそんな作品作っていいと思ってるのか!」と反対されたが、その議員と何とか繋がって、一緒に酒飲んでみたら、その議員は何でもかんでもとりあえず反対しているだけの人だということがわかって、結果として作品に協力してもらうことになった、というエピソードを話していた。その話の趣旨としては、敵と仲良くすることは、必ずしも敵の言いなりになることではないよ、ということ。そして、貧乏でもマイノリティでもこれから日本が最悪な未来を進もうとも、幸せに生きる方法は人それぞれあるはずだ、という話だった。

待って待って。にしてもさ。結婚している中年男性として普通に生きているだけで責められる、普通に生きているだけなのに、というのは、その「普通」がいかに特権的であるかを自覚していないだけなのではないか?個人の責任として謝る必要がないのはそうだけれど、特権を持っている人間として、なぜ責められているのか、責めてくる人たちは何に困っているかを理解していないのではないか。リーマンショック、震災、コロナ、この先も日本の未来は悪化する一方かもしれないが、だからこそ俺は個人として幸せに生きている、みんな個人として幸せに生きる方法を見つける努力をしたほうがいい、??個人の努力だけでは幸せに生きられないから、「結婚している中年男性」を中心に回っている社会をどうにかしようと声を上げているのではないのか。みんなが、おじさん個人に悪口をぶつけているかのように見えているかもしれないけれど、社会構造としておかしくない?という違和感に共感できない「結婚している中年男性」当事者であるから、自分が責められていると誤解しているのである。おじさん個人が悪口を言われてしまう生きづらさ自体、おじさん中心に回っている社会のせいなのだから、一緒に社会構造をどうにかしようよ。