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就職やら結婚やら

就職や結婚について、年々日に日に頭の中の容量を侵食してくる。自分が会社に入って働く姿など現実感のないまま大学卒業の時期が来てしまった。もう今年で、母が私を産んだ年齢になる、結婚の問題についても割と目の前にある。

結婚したくない理由は特にない。かといって、わざわざ結婚する理由もない。ただ、なんとなく、で結婚するのは避けたい。なんか違ったわ、といって離婚してしまうのは寂しい。結婚したくないわけでもない、というのは、「自分は結婚できるほうの人間である」という優越感や、(私はあまり思っていないけど)「親・親類を喜ばせ安心させたい」という漠然とした幸せイメージを抱いているということだと思う。一方で、別に結婚しようがしまいが、自分の人生の幸福度に直接関わってくるほどの影響力もないと思っている。結婚するかしないか、このままだとどちらの判断を下すにしても「なんとなく」という理由にとどまってしまう。

ごく短い人生を振り返ってみると、高校は県立トップの進学校を卒業して藝大に進み首席で卒業するというこんなのを文字に起こすこと自体恐縮居た堪れないのだけど、別にこれらのステータスを得ることを一番に目指して努力したわけではない。高校では程よくゆるい環境で吹奏楽に打ち込みたかっただけだし、テストの点数で否定されたくなくて藝大を受けたらたまたま入れただけだし、卒業制作も論考執筆も、完璧は諦めて無理なくほどほどにやったら首席になってしまった。結果として、誰にでも開かれているわけではない、世間的に評価されるほうのマスに進んできたけれども、どれも何かしら自分の切実な欲求を尊重した選択をしている。結婚も、何か自分の中にある切実な欲求と結びつけてしまえばいいのでは。

私は今のところとにかく就職したくない。求人を探してよくわからない人の面接を受けてよくわからない人たちと仲良くなるタイミングもないまま毎日働き続けるのは無理。専業主婦になれば、就活をしないで養ってもらえる。結婚するか。でも、私が死ぬまで稼ぎ続けてくれる人間が必ずしも存在するとは限らない。結局ひとりで生きる術は持っておく必要がある。

よくわからない人たちのことをよくわからないまま、わかり合えないまま働く苦痛は、初めてのバイトとして選んだ塾講師で感じた。塾講なんてそれなりの大学生なら誰でも採用してもらえる。大学の話に戻ると、もし学力に自信がないからといって、自分が私大に指定校推薦なんかで入ったりしたら、たぶん今の大学のように良い人間関係は築けなかっただろうな、と私大に進んだ高校同期たちのSNSの愚痴を見てて思う。仕事をする環境も、「誰でも入れるわけではない」ちょっと狭き門の会社に運良く入れたら、人間関係にストレスを感じることなく労働できるのではないか。じゃあ大企業に就職?

いや、大企業に入ることを目指して就活をしても、たぶん採用基準が曖昧で、何社何十社と理不尽に落とされまくったときの精神的ダメージが大きすぎる。やめといたほうがいい。

あ、じゃあ公務員なら、試験で明確な基準がありそう。落ちても理不尽な大人に絶望することなく、単に自分の努力不足として受け入れられるのでは。

(つづくかもしれないしつづかないかもしれない)