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「なんとなくしんどい」の変遷

親や友達や誰かに「心配をかけたくない」という人の気持ちが全然理解できなくて、私はむしろ誰かに心配してもらえることが嬉しかったので、心配してもらうことに対して積極的だった。自分が他人の関心を引いて、特別扱いしてもらうための手段は、勉強の成績などで人よりも優れた結果を出すか、体調が良くないことをアピールすることだった。体調が悪いといっても、本当に頭が痛いとかお腹が痛いというわけではなく、精神的に不安だったり寂しかったりするだけで、しかし「なんとなくしんどい」ということしか自覚しておらず、自分の状態を全然上手く説明できなかった。そのため、「学校休むの!?どっちなの!?」と責められたり、保健室に行っても授業をさぼりたいだけでしょと思われて教室に返されたりした。気持ち的になんとなくしんどいだけで、身体的に辛いわけではないので、逆に、過剰に心配されると余計に居たたまれない気持ちになったりもしていた。それでも、本当に体調不良で辛そうな人が周りから心配されていたり、自分がインフルエンザにかかって心配してもらったりしたときの、特別扱いしてもらってる感に浸りたくて、時々「なんとなくしんどい」をやっていた。あと高校生の時は単に授業とか課題とかがきつすぎて、休息のための口実が必要だった。

最近ようやく「心配をかけたくない」というのがわかってきた気がする。私のことを心配してくれている人が、本当に心配そうに辛そうにしていると、心配をかけるわけにはいかないな、という気持ちになる。むしろ体調不良を悟られてはいけないとまで思う。

もう最近は、誰かに心配されたいとか、心配させることであわよくば寂しさを埋めたいとかいう気持ちはないのだけど、とにかくここ数日、なんとなくしんどい。ピルの副作用のせいにしているけど。ピルを飲みさえすれば、毎月のPMSから解放されて、身も心もさぞ軽くなるのだろうと希望を抱いていたのだけど、むしろ謎にだるい。こんなにだるい日が続くのは珍しいなぁ、と思っていたのだけど、傍から見れば、私はそういう日ばかりなんだろうな、とも思う。

体調不良の口実を使っても、そもそもそこまで辛い授業や課題はもうないし、体調不良にならなくても、私に関心を持って接してくれる人たちに恵まれているし、大人なのだから、自分の身の回りの最低限のことは自分でやる責任があるので、何かを免除してもらおうという気もない。むしろ、なんとなくしんどい、だけで面白い授業を受けられないほうが辛い。(面倒くさいなと思いつつも、とりあえず出席して途中退室するつもりだった授業を、結局「風邪っぽいので念のため休みます」といって欠席した。本当になんか怠いし鼻詰まりが辛い。)もし仮に何か誰かに代わってほしいものがあったとしたら、普通に頼むことができるので、嘘をついてまで体調不良を口実にする必要もない。

自分の体調不良によって他人を過剰に心配させてしまって、ネガティブな気持ちにさせたくない、と思うのは、自業自得のような気がしてきた。今まで、他人の関心を引くために心配させようと仕向けてきたのだから、今さら心配させたくないと思っても、自業自得としか言いようがないのかもしれない。毎日前向き元気ハッピーに過ごすにはどうしたらいいのか。