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SNSとの距離をどう取ろうか

TwitterInstagramも、情報が溢れすぎて、しかも個々の情報にあんまり興味もなくなってきて、インプットを減らせるなら最小限に生きたいなと思うこの頃です。誰かに共感してほしい/誰かに共感したい、という承認欲求も薄らいできた。アカウント消してしまってスッキリしたい衝動(または、SNSなんかやっていないピュアで賢い人間として承認されたい欲求)に駆られまくっています。が、SNSメインでの繋がりの人もいて、その人たちと関係を続けたいのに断ち切ってしまうのは違うので、慎重に考えています。今使ってるアカウントの削除をほのめかしながら、告知だけする用のアカウントに移行して、彼らにフォローしてもらって、自分は他人の情報をタイムラインやストーリーで見ないし自分で私生活をつぶやくこともせず、淡々と主催プロジェクトの告知だけすればいいじゃん、と思いつきました。しかし、私の情報も、他人にとっては、大量に流れてくる情報と並列するものでしかなく、「大量の情報から逃れたい」とか言ってるくせにその一端をになってどうするねん、となりました。だからSNSで告知する必要すらないのでは。今のところの規模だったら、私に興味を持ってくれている人なんて、1人ずつ連絡できるくらいの人数だろうと思うし。

中野成樹さんが、自分たちの劇団はどんどん個人商店のようになっていっているということをおっしゃっていて、

『EP1(ゆめみたい)』前説:中野成樹+長島確トーク(5/6) | NakaFra

自分たちが了解できるものを、生きるに困らない稼ぎの分だけつくって、ご近所さん相手に売るっていう。

内向きすぎかな、と心配する中野さんに対し、長島確さんは、

劇団の公演というのは、どんな形であれ、どのみち社会的なアクションなんだと思います。

とおっしゃていて。

わざわざ引用しておいて、SNSをやるかやらないかとかしょうもないことを言っている自分がだんだんと恥ずかしくなってまいりましたが、とにかくその「個人商店」マインドがヒントになりそうです。SNSをやめるか続けるかは置いといて、漠然とした「世界」みたいな大きすぎるものに立っていようとするから大変なんですよね。個人商店だって、社会に存在していることには変わりない。自分が関係を結びそれを継続するための努力をする範囲を、「世界」とするのか「ご近所さん」にしておくのかの違いです。

書いているうちに整理されてきた気がする。このブログは、たまに感想を一言送ってくれる友人などもいて、その人たちが「ご近所さん」だという意識があるので、更新したらSNSにあげます。告知もそうしよう。鍵垢にした方がいいか、と思ったけど、ご近所さんのご近所さんへという広がり方(RT)は制限したくないので、そこは流れに身をまかせる。ご近所さんのご近所さんは、いきなり「世界」ではないからね。