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振り返り1

大学院に入って8ヶ月が経った。「何の研究をしてるんですか?」と聞かれたとき、いまだに学部の卒業制作の話をしてその返答としている。大学院に入ったのに、研究という研究をしていない気がする。

大学院に入ったら、学部4年生の延長みたいな感じで研究を進めるものだと思っていた。所属する研究室のゼミが1~2週間に1回あって、単位を取るための授業に最低限出席して、面白い授業は聴講に行く、といったようなサイクルを想定していた。しかし、現実は全然そんなことなかった。毎週必修の授業と課題に追われているかと思ったら、所属する研究室のゼミは数ヶ月に1回で、もはや後期はゼミをやらないつもりらしい。(一応「自主ゼミ」と呼ばれるものがあるが、それは学生のために設けられたものではなく、指導教員が学外連携プロジェクトの仕事の一環でやっているゲストレクチャーである。)お給料が良いとはいえないのであろう国公立大学の雇われの身である限り、学外でのお仕事もさぞお忙しく、半人前の学生との議論に割く時間の余裕などないのかもしれないけれど、学費を払っている身からすればそんな同情の余地はない。研究室に入るために大学院入ったのに、ゼミがなければ意味がないじゃないか。と、こんなことをわざわざ学生に言わせてしまう教員は教員としてどうなのよ、と思っているので、これ以上喧嘩もしたくないし、諦め。

必修の授業もゲストレクチャーの形式なのだが、毎回当たり外れの差が激しい。有意義な議論が生まれる回もいくつかあってとても良かったのだけど、一方で、教員が気軽に声を掛けやすかったから呼んできたのカナ?みたいな関係者や、学生からの指摘や質問にまともに答えられない人、スライドを用意せず口頭だけで90分×2コマ講義しようとする人(そういう人に限って抽象的な話ばかりする)、本当にありがたい反面教師になる。最初のレクチャー後に「レポート」を提出せよという課題が出たので、問いを設定し、調べ物をして、論を立てて2000字くらいのやつを指定通り「A4サイズ1ページ以内」に収まるフォントサイズに調整して提出した。その後、他の人たちのを読んでみたら、全然レポートとは呼べるものではないものがほとんどだった。え!?何が起こっているの!?と思って、入学式の日に配られた資料を読み返してみたら、「感想文」を提出、と書かれていた。レポートじゃないんかい!レポートと感想文、定義が違うでしょ......毎回まともに1週間かけて書くのがアホらしくなって、その後はレクチャーを受けた当日にパパッと埋めて出すことにした。

学期末に大きめの課題が出されるのだが、課題文が曖昧で意図がよくわからなかったりする。大枠は書けたぞ!と思って、ふと課題文を読み返していたら、あれ、もしかして課題文の解釈勘違いしてたのでは...!?となって、慌てて書き直した。読点の前にある文言が、後ろに続く文言のどこまでかかっているのか、2通りの解釈が可能な一文だったのである。課題文の日本語が下手くそ。。そんな文章書く奴に添削されたくねぇ不安だ......(と思ってから4ヶ月経つのに添削返ってこない)

12月にはFoodCampという課題がある。何か食にまつわることについて発表する。この半年間ゲストレクチャーばっかり受けさせられていたのに、なんだか唐突である。そして私たちは別に食についての勉強を専門にしてきたわけでもない。ど素人である。ど素人の発想で作ったものをその場で食すのである。さらにリサーチ期間は3週間しかない。ときには危険も伴うだろうに、教員もあくまで芸術系大学の教員なので、例えば「ヤギの糞を食べるにはどうしたらいいか?」という学生からの質問に答える術も、学生をその道の専門家に繋ぐコネクションも持ち合わせていない。どれだけ真面目にやる気があっても、3週間しかなければ、「できませんでした」というほかなくなる。真面目に打ち込むだけ時間の無駄なので、単位だけ取れればいいや、という投げやりな気持ちになって、私はテキトーに冷凍餃子でも焼こうと思う。課題そのものが形骸化した状態で与えられているので、こちらも形式的に課題を出します、もう。真面目にやりません。あと、大学敷地内に生えている雑草を調理してみたい、といったような、まさに課題が提示しているコンセプトにぴったりなアイディアが出たにも関わらず、教員は「でも今の時期に雑草探すの難しいかもね...」と言う。じゃあなんで冬にやるんだよぉぉぉ......大学周辺の土地に根ざした材料を探せと言う割には、そんな矛盾にすら気づいていない。そして、肝心の発表日は、他学年の作品審査会の搬入と被っているので、私たちが発表に使いたいと思った場所があっても、審査会の方が優先される。なぜこんな不都合の極みみたいな時期に実施しなければならないのか。

学年末課題として、小論文、ドローイングを提出し、プレゼンテーションをすることになっているのだが、課題文が以下である。「今年度のゲストレクチャーからキーワードを引き出してリサーチを加え、自らの活動のコンテクストを明らかにしつつ修了制作に向けた方向性を示す」。なんだ、この一文に要求がいくつも詰め込まれた日本語。年内の授業が12月20日に終わって、提出日は1月3日である。どこまで本気で「リサーチ」をさせたいのかわからない。課題の詳細についての説明があるのかなと思って待っていたら、12月26日になってしまって、結局その課題文以上の詳細はアナウンスされなかった。あと1週間ちょいしかないじゃん。「自らの活動のコンテクストを明らかにしつつ」ってなんやねん、何が言いたいのか抽象的すぎてわからん。もしや、学生を試している?要求をいかに真に受けずに自分を貫けるか、みたいなことを試されているのか?回りくどくない?

と思って、後日課題文の英訳の方を読んでいたら、「Draw out keywords from this year's guest lectures, add research to clarify the context of your own activities, and provide a direction for your final project. 」と書いてあるのを見つけた。え、リサーチって、キーワードについてのリサーチじゃないの!?自分の活動のコンテキストを明らかにするためなの!?どっち!?

となったので、先生たちにメールを送る。が、もう12月31日である。いくら待っても返信がこねぇ。なんで締め切り三が日にしといて、課題の相談は受け付けないんだよ。課題の相談受け付けられないんなら、年末年始に学生に課題やらすなよ......

長々と文句ばかり連ねてしまった。私が入った研究科は、専門性を究める場所ではなかったようです。もうただ単位を取って修了できればいいや、という投げやりな気持ちで、何のために大学院に入学したんだろうか、と日々思っている訳ですが、その反動と焦りと救いを求める切実さによって、有意義で楽しいこともやっています。次回はそれについて。