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整理整頓欲

先日、北千住の串焼き居酒屋で面接ごっこをして遊んでいたとき、「学生時代に力を入れなければよかったことは何ですか?」という質問が出た。意外とパッと思いつかないもんだ。私は、「高校受験の面接対策で、第一志望の高校の校訓を必死に覚えたこと」と答えた。「創造・協働・自律」みたいなやつを頑張って覚えて、直前まで友達と確認し合ってたのに、入学してからその校訓を一切目にすることはなかった。当然入試でも聞かれなかった。

私はもう一つ思い出した。「ノートをめっちゃ綺麗にまとめていたこと」。テスト勉強の度に、めっちゃ綺麗にノートをまとめていた。でもそれは、覚えたりするためではなくて、綺麗にまとめとけば先生に褒められるのだと経験的に分かってやっていたし、テスト勉強やってます感を稼ぐためにそうしていたと思う。時間も体力もないので、ちゃんと勉強していることをアピールしておかないと、と必死だったと思う。英語の担任(めっちゃ怖い)からは、「努力は伝わってくるんだけど、ちょっと方向が違ってるのかもね。上手く結果に繋がるといいんだけどね」と、三者面談で母親もいる前で、やんわり優しく指摘してもらっていたはずなのに、当時の私には褒めの部分しか届いていなかったと思う。ほぼ毎回赤点だった。志望校の校訓にしろ、ノートを綺麗にまとめることにしろ、中学校は無駄なことばかり教えているなー。

ノートをめっちゃ綺麗にまとめていたのは、勉強の面では非効率的で無駄だったかもしれないけれど、もしかして今、自分の企画のフライヤーをデザインするときに役立ってる!?いや、でも自分の学生時代に手書きノートが存在しなかったとしても、丁寧几帳面整理整頓好きは発揮されていたと思う。整理整頓欲が別の何かで発散されていれば、もっと効率重視でテスト勉強に励んだだろうか。そんなことはないか。中学までの勉強や生活態度の評価は、丁寧で几帳面な性格の人間が有利だと思う。問題文をきちんと読めているかを問うてくる問題とかあるし、ノートを綺麗にまとめていたら成績上がるから。性格勝ちゲームじゃん。

話がどんどん逸れるけど、整理整頓は個人の欲求であり、他人に強要するものではない、と思い始めている。部屋が散らかっているからといって、その人に片付けろ!と怒りをぶつけたり、他人が放置しているものを「いつも自分ばかりが片付けている」と見返りを求めたりすべきでない。片付けを頻繁にする人は、整理整頓欲が強いだけで、片付けない人は、別に綺麗にしたいとか思わないだけだと思う。前者が立派で模範的で、後者が劣っているとか、そんな構図は存在しない。ただ、片付けが必要な時もあって、それは片付けをしたいかどうかに関わらず、片付けをしないといけない。小さい子どもがいるとか、怪我や病気や事故のリスクがあるとか。そうでない範囲であれば、片付けは個人の自由だ。(私は他人に対して、ちゃんと片付けろ!とは思わず、むしろ自分の整理整頓欲を発散できるなら他人のために片付けをしてあげたいと思っているので、相手が望むならば片付けをさせてもらう)

この前、一人暮らし2年目の妹の部屋に泊めてもらった。つい善意のつもりで、キッチンのシンクに溜め込まれた食器を片付けたけれど、ドレッサーの引き出しの中の混沌は、才能だと思った。整理整頓欲がある人間には、あの秩序のなさの蓄積は作り出せないと思う。メイク道具、文房具、キーホルダー、家の鍵などが全部一緒に入っている。それはそれでいいのかもしれない。