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直接言えないシリーズ「異性の友人と2人で会えない」

帰省するので、地元にいる友人たちに会えないかなと思い、どうせなら共通の知り合いは同じ日にまとめて集まれたら、と思って、2人に声をかけた。1人は、最近彼女ができたらしく、「もし、もう1人の予定と自分の予定が合わなかった場合、2人だけで会うことはできない」と言われた。友人は彼女から「大事な後輩であることは知っているけれど、2人きりでの食事は、なんとなくモヤる」と言われているらしい。これを聞いて、めちゃめちゃモヤってしまった、私の方が。

私は、彼女の意見を尊重しようとしている友人を尊重したいので、あまり踏み込まないようにしている。ただ、結果として、自分のモヤモヤを我慢することになった。

自分は、単なる「異性」のカテゴリーに収められて、制限されてしまうんだ、と思った。たしかに、高校生ぐらいまではそういう単純な社会で生活していたはずだけれど、今になって、と思った。まだ属性で見られてたんだ。

恋愛は属性を超越しない前提なのか。属性で恋愛してるんだ。私の世界の方が、友人の世界より複雑になりすぎたのかもしれない。友人をとりまく世界は、男性と女性が恋愛をする、同性どうしでは恋愛をしない、そういうシンプルな世界なのだろう。属性で判断して浮気を防止できるなら、とても簡単だ。属性に関係なく、個として恋愛をする世界では、浮気を防止するために会食を制限していたら、私以外の人間と食事に行くな、ということになってしまう。浮気してほしくないとしても、人間関係を制限するという手段はまず使わない。

もう一つ、恋人の友人関係を制限することは、本当に相手を尊重しているといえるのか?というモヤモヤ。そもそも、相手が自分のことを一番に尊重してくれているという実感があれば、浮気の心配をする必要がない。自分が一番だという自信があるから。もっと相手の幸せを尊重するなら、浮気も悪じゃない。好きな人には、その時に最も幸せな選択をしてほしい。「浮気=悪」になるのは、自分がないがしろにされたと感じるからだろうし、尊重されている実感がある限り、恋人が他の人と仲良さげにしてたとて、なんとも思わないと思う(理論上)。むしろ機嫌良くなって帰ってくるなら、嬉しいじゃん。

『関パンク宣言』という曲がちょうど刺さった。今の私は完全にこっちだ。

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とはいえ、単に寛容であることが、相手にとって一番とは限らないのかもしれない。相手から束縛されることで、自分を束縛してくれる存在(=恋人)がいるという優越感に浸る人もいるだろう。自分も高校生くらいまでそうだったし。そういう人は、何もかも寛容にされると、物足りないのだと思う。束縛してほしいという友人の(潜在的な)ニーズを、パートナーが尊重しているともとれる。